焼き鳥一松

昨日の金曜夜。仕事を6時に終え、中央線を西にまっしぐら。7時過ぎに多摩地区郊外の駅に降り立つ。その焼き鳥屋は、駅から5分程度の雑居ビルの2階にあった。その名も焼き鳥一松。そこに学生時代の仲間7人が集まった。
昔と同じおじさんが、77歳になるというのにまだ焼き鳥を焼いていた。この早稲田卒業で脱サラしたおやじが、別の場所で居酒屋を開いたのが30年弱前。開店間もないその頃に、我々はその場所近くの大学の中にある寮に住んでいた。
安くて気さくなお店で、店がおひらき近くになると、ビール片手におじさんが寄ってきて、政治経済社会を熱く語り、我々田舎から出てきたばかりの学生に説教する。そばでやさしそうに微笑みかけるおばさんがいた。小さな居酒屋は、この夫婦のファンでいつもいっぱいだった。
我々もしょっちゅう通った。寮生のたまり場だった。議論し、説教され、くだを巻き、吐いて暴れて、あげくに2階の窓から小便するやつも現れ、問題になったものだ。
それでも可愛がってもらった。卒業して疎遠になってしまい、今晩が2回目だった。
おじさんと握手し、抱き合い、最後はいつものようにビール片手に語り合う。さすがに老いは隠せなく、声もぼそぼそになっていたが、往時の話に花が咲く。
まさに青春の巣であった。金の無い学生向けに、一人前確か300円程度の白菜鍋なるものが考案され(白菜と鶏肉しか入っていない、今晩も注文したが500円!)、これとホッピーと清酒多摩自慢で毎晩夜遅くまで一松で過ごしたものだ。
そんな夜であり、当然飲みすぎて、ふらふらになり、記憶も薄れ、その駅から遥か遠い我が家には帰れず、中央線終点の駅に住む1年後輩のA君の家に、転がり込むことになってしまいました。A君、有難うございました。
結婚してから初めての無断外泊となってしまった夜でした。