ホンダ神話

異動が決まると、急に今の仕事に関心が薄くなるのはやむなしか。
それでも昨日は、最後の大仕事と認識しているプロジェクトの仕上げに勤しみ、夜の10時過ぎまで資料作り。雌雄が決するのは来週初めの米国出張となる。それまでは集中して頑張ろう。
一昨日の夜は商社さんとの宴席。日頃お世話になっている担当の女性2人、男性1人と、丸ビルのしゃれた和食屋で季節の食材を楽しむ。
異動の話をすると、皆寂しがってくれた。この5年間、本当にいろいろな方に支えられ、仕事してきたんだなと改めて実感する日々。
元日経記者の佐藤正明氏の「ホンダ神話Ⅰ」「同Ⅱ」を読了。業界は違っていても、戦後発足した企業の創業、辛苦、発展、停滞、改革のドラマティックな道のりを追体験することは楽しく興味深い。
特に国内外企業との提携、合併、買収などの合従連衡話は、自動車業界ほど激しくなくとも我が鉄鋼業界も足元直面しているだけに示唆に富む。
そしてホンダの経営を演出してきた藤沢武夫氏の発言は、刺激的だ。
「役員の仕事はハンコを押すだけではない。こんなことを繰り返していては、いずれ官僚組織の会社になってしまう。役員には役員らしい仕事をしてもらわなければならない。それでは役員の仕事とは何か。未知への探究にあるのではないか」
「重役の仕事を強いていえば、白紙の状態でホンダの将来のあるべき姿を考えること」
「経営者とは三歩先を読み、二歩先を語り、一歩先を照らすものだ」
その藤沢氏と本田宗一郎との出会いは、各々38歳と42歳の時だったという。決して若くないスタートにやや驚く。
ホンダが大企業になるにつれ、官僚化、そして万物流転の法則に従って滅亡するのではないかと恐れ、いろいろな仕組みを考えて実行してきた藤沢氏。そのホンダですら二大創業者が鬼籍に入り、徐々に大企業病に侵されていく過程を読みながら、翻って弊社はどうかと考えざるを得ない。大企業病そのもの、動脈硬化、脳溢血の一歩手前ではないかと思ってしまう。
藤沢氏の発言ではないが、文中以下のコメントがある。
「技術者社長というのはいってみれば”みこし”です。経済が一本調子で伸びている時代には、なんら問題はありません。しかし低成長の時代には向きません。なぜなら経営の哲学がないからです。もっと言えばそういう育てられ方をされていないからです。経営者として訓練されていない技術者に、激動している時代を見極めさせるのは酷というものです。ここは視野の広い営業や経理に通じた事務系の人を起用したほうがいいのではないでしょうか。」
結果的にはホンダはずっと技術屋社長で通してきている。しかしその過程には技術者への経営者教育、経営哲学の涵養があったのでは。
弊社もずっと技術者社長で来ているが、果てしてどうなのか。。。