子供に小言をいわないために

息子の遠足に同行予定だったが、あいにく雨で延期。通常の通園となり送り迎えだけする。日中空いた時間は久しぶりに家内と近くのダイエーに行き、ジーパンを買ったり、トンカツ屋で昼食を取ったりした。午後、子供たちも連れ、再びダイエーへ。子供たちの遊びに付き合い、夜は近くの「くら」というお寿司屋さんで夕食。
子供たちとこんな風に長時間付き合っていると、つい駄目駄目攻撃(クレヨンしんちゃんの主題歌の如く)になって、なんでも駄目と言ってしまいがち。度重なることで、いらついて怒声になり、子供がおびえるシーンが何度が出てくる。普段は家内の口うるささを詰っているのに、自分がそうなってしまっていることを自覚せざるをえない。
カーネギーの名著「人を動かす」のなかに、子供に小言を言いがちだった親が自分を反省する文章が紹介されている。「父は忘れる」という文章でアメリカでは不朽の文章として、いろいろな場面で引用されているとのこと。
                                                           
「父は忘れる」(リビングストン・ラーネッド)
何という習慣に、お父さんは、取りつかれていたんだろう!
叱ってばかりいる習慣、まだほんの子供にすぎないおまえに、お父さんは何ということをしてきたんだろう! 
決しておまえを愛していないわけではない。
お父さんは、まだ年端もゆかないおまえに、むりなことを期待しすぎていたのだ。
おまえをおとなと同列に考えていたのだ。
おまえのなかには、善良な、立派な、真実なものがいっぱいある。
おまえのやさしい心根は、ちょうど山の向こうからひろがってくるあけぼのを見るようだ。
おまえがこのお父さんにとびつき、お休みのキスをしたとき、そのことが、お父さんにははっきりわかった。
ほかのことは問題ではない。
お父さんは、おまえに詫びたくて、こうしてひざまずいているのだ。
お父さんとしては、これが、おまえに対するせめてものつぐないだ。
昼間こういうことを話しても、おまえにはわかるまい。
だが、あすからは、きっと、よいお父さんになってみせる。
おまえと仲よしになって、いっしょに喜んだり悲しんだりしよう。
小言をいいたくなったら舌をかもう。
そして、おまえがまだ子供だということを常に忘れないようにしよう。 
                                                                   
ダイエーの書店で「リーダーシップの旅 見えないものを見る」(野田、金井)を買う。リーダーシップをプロセスとして捉え、そのプロセスに自分の問題意識としてどう取り組むか、それがリーダーシップの本質であり、個々人の生き方に係わる問題とする視点が新鮮。まだ読みかけだが楽しみな本だ。