鞆の浦

宮崎駿監督のポニョの構想の生まれた地、そして昨年の竜馬伝で舞台の一部となった広島県福山市鞆の浦地区に行ってきた。カナダのお客さんから日本風旅館に泊まりたいという要請があり、金曜日の当社工場見学の前後に宿泊できるようアレンジしたもの。


俺も重要顧客対応ということで、金曜午前の会議後に新幹線に飛び乗り、夕方旅館で合流した。まずはビールを飲みながらの懇親、そのあとは皆で露天風呂に入り、そのまま夕食、カラオケ2次会とたっぷりお付き合いした。
ちょっと笑えたのは、この外人さん、朝のお風呂を楽しもうと入り口のドアを開けたら、そこで女性が身体を拭いていて、お互い呆然驚愕、慌てて出たという。日本のホテルによくある朝晩のお風呂の場所の入れ替え制なのだが、確かに暖簾に青と赤の色はあっても、英語では何も記述なく、やむなしではある。可哀想にその御仁、15分は出てこなかったとか、痴漢の罪で二度と日本に入国できないとか、ずっとからかわれ続きだった。
この方、フランス国籍チュニジア生まれ、軍人だった父親の転勤で世界各地を転々とし、今はカナダの大企業勤め。奥様はコロンビア人、趣味嗜好は日本と、とてもインターナショナルな方で、鞆の浦の素朴な港町風情と歴史の香り、そして何より日本風旅館に大変ご満悦であった。まさにこういう方のために、通訳案内士の資格を取得して日本の良さや素晴らしさを意を尽くして伝えたいと思うのであった。


さて、前日は鞆の浦を散策する時間がなかったが、土曜の朝、帰る前に40分ほど一人で街を散策する。小さな街だが、あちこちに歴史の足跡が残り、江戸風の建物が立ち並ぶ。
(↓竜馬がいろは丸沈没事件で紀州藩と談判した旅籠跡)


(↓江戸時代は航海の要所として栄えたが今は素朴な漁港)


帰りのタクシーの運転手さんが鞆の浦の地元の方で、鞆の浦の歴史的価値や見所、竜馬伝でロケがなかったことの痛恨、不便な交通解消のために橋や海底トンネルを作るかどうかの抗争について、30分余りの間ずっとお話してくれた。地元愛に溢れる運転手さんに見送られ、鞆の浦を後にするのでありました。