巨大地震@会社

11日金曜日、14時46分。30階の大会議室で研修を受けていた時、大きなゆれに襲われた。これまでに経験したことがないような横ゆれ、縦ゆれがかなりの時間続き、ビルがうねりを上げてぐるぐる廻っている感じで、立っていられなくなった。となりの高層ビルがグニャグニャしているのがよく見えた。本当に倒れるのではと心配した。
ゆれがおさまってから24階の執務室に戻り、騒然とした雰囲気のなかで、会社の指示に従って待機。エレベーターは停止、壁の一部には亀裂が走り、お台場の方から黒い煙が上がっているのが見えた。


眼下の日比谷公園厚生労働省のビル前に大勢の人が避難している様子が見て取れた。家に連絡を取り、家族全員の無事を確認できてホッとする。
エレベーターが2時間ほどして再稼動し、しかしその1時間後には余震に備えて停止するという。その時点ですべての輸送機関が停止している状況下、家まで50キロ以上ある俺は、会社での泊まりを覚悟。食料を買おうと地階に下りていったが、コンビニではめぼしい食料の棚はすっからかんですべて売り切れ、レストランも当然のことながらすべて営業停止であった。結局となりの部で、大量のすき屋の牛丼を確保してくれていて、それにありつけて一息つく。
19時過ぎには、自宅まで20キロ以内の人を中心に、徒歩で帰る人が出始める。会社から非常食用のカロリーメートもどきや毛布の配布が始まった。会社に泊まる人は女性含めて全体の7割くらいだろうか。21時に営業全体での打合せが召集された。当社の関東の工場に被害が出ている模様で、日曜日午前中の緊急会議が決まる。
寝る気にもなれず、だらだらと仕事をしつつ、パソコンでネット情報にかぶりつき。次々に表れる凄惨な情報、写真に息を呑む。そのうち各部署で残っているアルコールで酒盛りが始まる。こちらも男性4−5人でビールやウィスキーをちびちび飲みながら、深夜の会社でのつつましい宴会。結局机の椅子で明け方に2−3時間寝て、6時に目が覚めた。高層ビルから朝日がうっすらと目に入る。


京急の復旧を確かめ、7時半頃退社を決意し、都営線で三田まで出て、そこから品川まで30分程度歩き。大勢の帰宅困難者が帰宅の徒についていて、途中の泉岳寺駅には道路200メートル以上に渡る長蛇の列。


こちらは品川駅から京急の特急にスムーズに乗り込め、9時前には自宅にたどり着くことが出来た。
明け方に会社のビルから出た時、そして文庫駅に着いていつもの風景を見た時、涙が出てきた。いつもと同じということのありがたみをヒシヒシと感じた。災害に遭われた方々の復旧を心から願う。